妙なる音を奏でる鈴木昭男をたどる


第一章

初めて鈴木昭男さんとお会いしたのは「日向ぼっこの空間」のレコードを手に入れた時だった。それにサインをいただく前に、優しい声での会話が始まった。その瞬間から、目に満ちている暖かさと人柄に魅了されていった。


近郊から親子連れが見にくるような愛知県大府市役所での演奏会に、遠いところからやって来たというと「このためだけに ?」、彼は驚いていた。



その後、鈴木さんにメールをしても、ずっと返信がなかった。『地球の歩き方』の編集者である75歳の大家さんに読んでもらった時「押し付けがましいのでは」と言われてしまった。新しく習得した言葉使いに気を配りながら、大家さんの指導のもと改めて丁寧な文章で再度メールをした。時間がずいぶん経っても返事が来なかったので「あ ~ あ、これは相当気に触ったかなぁ」と大家さんが事情を分析してくれた。初めてお会いした時、とっても優しかった鈴木さんの印象から、私はとても戸惑っていたのだ。

そんな時、鈴木さんが下北沢で演奏されることを耳にした。手紙と参考資料の記事を持って行くしかないと思った。

演奏中、私がモジュラーシンセで水がはねる音を出そうとしている同じ音を耳にした。鈴木さんは、靴下をかぶせたお酒のポケット・ボトル中の水位バランスをとりながら、棒で叩いて出したことに衝撃を受けた。続いて、宇宙的に錯綜する複雑に重なった音に魅了された。それがアナラポスだった。1969年頃に発明してしまった、和名では「室びこ」として知られるエコー音器の原器である。それは、東京で一人暮らしの夜、転がっていたジュースの空き缶と鉄のコイルスプリングをもて遊んでいた時だった。「物と物の出会い」から偶然に接して出た音を見逃さず閃いたのだという。

パフォーマンスが終わり、お声をかけるのを待つあいだに、気づいたら封筒がくしゃくしゃになっていた。
「普段、メールを使っていらっしゃいますか ?」と私が聞いた。
「あまり使っていない」

「携帯は、お持ちですか ?」
「妻は、持っていますよ。お教えしましょうか ?」

「連絡は、お手紙の方が良いでしょうか ?」
「そうかも」

お話しする間に、迷わずご自宅の住所と奥さんの宮北裕美さんの携帯番号を、私の名刺に書き留めて下さった。意外だった。

水がはねる音、原作楽器の奇妙な反響
聴いたことのない、想像もつかない素材の音の組み合わせでした。
今までの音に対しての概念が覆されました。
また、箱をゆっくり持って突然落とすシーンは
今でも、その面白さが心に残っています。

ライブ後、京丹後の住所に送った手紙の一部

写真:山本広務、『ポリフォーン』(1992年)より
「風の中に張られたアナラポスが、突然、妙なる音色で歌い始めた」。


その一週間後に、冷える真冬の仕事帰り、ブルーな気持ちで民家の扉を開けたら、厚みのある小包が置かれていた。目にしたものが信じがたかった。鈴木昭男さんからのだ!何が入っているのだろうと、強く好奇心がそそられた。中にあった手書きの便箋には「参考資料を見ていただけたら嬉しいです。お元気で」と書かれていたのと、青色の猫スタンプが押してあった。その中に、1992年の雑誌『ポリフォーン』に掲載された武田明倫氏が執筆された「音楽人探訪」や、『京都新聞』の批評記事、いくつかの展覧会のパンフレットが入っていた。嬉しくて顎が落ちた。鈴木さんの厚意に、ほのぼのとした気持ちになった。

続いて、5月の下旬に、熱海にあるホテル ニューアカオでの演奏会後に、やっと鈴木さんにお話を伺うことができた。参加者たちがロビーに集まると、「ついてきてね」と彼が穏やかな声をかけて、竹の棒でダンボール箱を叩きつつ、屋外に向かいながら演奏が始まっていった。

最初は、温泉ボイラー前の太平洋に向き合って佇む「点 音 (おとだて) 」マークに止まった。鈴木さんの足跡をたどって海に進み、竹の響きと宮北さんの所作が大自然の中、音とともに織り込まれる様子を芝生に座って味わった。

ニューアカオ・アートプログラム : 小金沢健人 制作の大食堂でパフォーマンス

そして、広やかなホールに27脚の椅子たちがあちこちの方向に置かれていて、それぞれが独自のリスニング体験ができるだろう。最後には、ホテルのゲームルームで機器がランダムに稼働する中、カオスの世界に連れてゆかれるようだった。

「おおっ、これぼくも持っているんですよ。すごいなぁ、こんなに古い物を手に入れたんですか ?」と彼に聞かれた。
(私の資料の中にあった 1962年の『藝術新潮』を、指差して)

「そうですね。古本屋で見つけたんです」。


『藝術新潮』1962年11月号

「ジョン・ケージという作曲家を知って、始まったんです」。

『藝術新潮』(1962) に掲載された鈴木大拙とジョン・ケージの対談「前衛音楽の発想と展開」を読んで、当時は何か共感できて、将来も是非ケージさんと出会いたいと思った。それから17年後に、演奏を聴きに来て下さった縁。1978年に、日本の現代音楽家の武満徹さんが企画されたフェスティバル・ドートンヌ・パリ「〈間〉日本の時空間」展に、鈴木さんと小杉武久さんが出場した。好評を得た「間」展は、翌年スエーデンとニューヨークを巡回した折が、ジョン・ケージに出会えた経緯という。東洋思想と鈴木大拙から深く影響を受けたケージは、言葉が通じない鈴木さんとも親しくなり、ピクチャー・トークで交流し合ったという。

鈴木さんの初めての個展 (南画廊・東京 1976) の折に、小杉さんが美術雑誌『みずゑ』のために寄稿した。それが二人の縁の始まりだった。 二人のパフォーマーが共演する。今まで聴いた中で、最も奇妙で美しいデュエットである。彼らはむりやりに関係性を作らない。決してお互いを真似しようとしない。似たような音を順次演奏するのでなく、交代もしない。制御、整理、作曲もしていない。だが、彼らは聴いて感じている。同じ音、同じ演奏への態度、同じ哲学、音楽のあるべき姿について、これほど徹底的に調和している二人に出会えたことはめったにない。
『ヴィレッジ・ヴォイス』(1979)トム・ジョンソン

「温泉のボイラーの音。時々火がつくんですね。ここに辿り着いて、佇んだ時がチャンス・ミュージックになって・・・耳に届く。あそこに「点 音(おとだて)」のマーキングをしちゃったのですよ」。

ケージは、偶然性の音楽といって、中国の『易経』からもたらされた作曲も手がけている。鈴木さんの世界観は、「なげかけ」と「たどり」だという。静かな小さな池に石を投げることによって、空間が答えてくる。何事も、意識をすることによって世界が姿を現す。耳を澄ますことは、極めて重要で、ただそのことをしていた。日本列島の農業が改造されて小川が無くなってゆくのを感じた鈴木さんは、60年代に「小川を訪ねる」を行った。「音楽の父」バッハ(小川)さんに、耳を傾ける意味も含まれている。見つけた小川に沿って寝そべり、ひたすら「せせらき」を聴くものだった。そこに、拾った棒切れを差し入れると、それまでの「さらさら」が「ちょろちょろ」と姿を変えて聴けて、一種の作曲だろう。

   「古池や カワズ飛び込む 水の音」 (松尾芭蕉)
に共感するという。

「小川を訪ねる」、「エコーポイントを探る」、「日向ぼっこの空間」は自然界に「なげかけ」と「たどり」を繰り返す行為を「自修イベント」と呼ばれる。

「日向ぼっこの空間」ブックレットの表紙(2021)
出版:アイランドジャパン


レコードを集めず、一枚を聴き終えたらそれを手放し、次の一枚を手に入れるというシンプルライフの頃、1973年に、ドビュッシーの交響詩「海」(1905) を耳にした。

1988年の秋分の日、自然の一日に耳を澄ます「日向ぼっこの空間」の遂行は、人生に刻まれたという。ドビュッシーの「海」は、黎明とともに自然が目覚め、次第に息づき陽が上がり最盛期を迎え、やがて陽が落ちるとともに生命体としての自然が終息してゆくと想像をめぐらした。それを聴いて以来、自然観察の追体験に憧れた。一日間を集中するため、日本の標準時の最北の地で、子午線135度の通る京都府京丹後市網野町の高天山の尾根 (標高150m) に、子午線に交差する形に、現場の赤土で「日干しブロック」一万個を造りつつ二面の壁を積み上げた。高さ3.5m、壁幅17m、壁の隔たり7m、壁厚1mは一年半をかけた。北壁の中央に座した時、壁によって視野が遮られ集中が得られた。一対の壁間を反復するだろう「虚音」が、地球を一周するスポットに身体を置いたいう。

まだインターネットがない時代に、鈴木さんの奇抜な行動が口コミで広まり、周りの友人や地元の人たちの厚意を受けた。お寺を建立する際の瓦寄進のように「ブロック・カンパ」を募るなど、多くの人々に支援されて実現できた。その場の山土を水で捏ねて型剥がしで作った「日干しブロック」は、出来上がると同時に風化が始まり、最終的に、大自然に還ってしまった。自然に一日を借りるという謙虚な姿勢であった。

若い頃は、よく遊んだ方が良いという。経験をつんだことは、大人になってからそのことが大いに救ってくれる。幼い頃に、母親が読み聞かせてくれた物語も、人生に影響を与える。大正8年の菊池寛の小説『恩讐の彼方に』は、ある僧が償いの険しい旅の最中人生を賭けて隧道を掘り進み、地域の人たちを巻き込んで貫通させた幼児体験が支えとなってくれたという。掛け替えのない体験を得られた鈴木さんは、それ以来、東京に帰らず丹後の地が彼の生活基盤となり今に至っている。私は、そのような丹後の魅力を肌で感じてみたいと足を運んだら、偶々秋日和に恵まれた。

「生き方というものを、決めない方が自身のために良い体験が積める。スポンジみたいに空っぽになっちゃて、吸収してたくさん膨らむでしょう」。

鈴木さんが撮った写真

パフォーマンスの後、長時間の対談のあと、疲れていただろう鈴木さんは、アートプログラムで気になっていた作家さんの会場まで案内して、屋上のテラスにマーキングしたという「点 音」に連れて行って下さった最後には、宮北さんの回廊のガラス窓に施した「波のうつし」という貼りテープによる線の踊りの絵の鑑賞にまでお付き合いをいただけた。